I am Spajiro(プロフィール)

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こんにちは、スパ二郎です。急ですが、スパ二郎のスパは「スパルタ」が由来です。

これまで自分に厳しくストイックに勉強し続けることにより、英語力をUPさせてアメリカ駐在を経験し、電験3種、米国技術士(プロフェッショナルエンジニア)などの難関資格も取得してきました。

しかし、実は数年前までは全く正反対で、大学生から社会人になって数年は毎日のように遊びふけ、人生を惰性で生きているかのように、全く勉強していませんでした。

そんな僕がどうしてここまで自分にスパルタになれたか、生い立ちも含めて、紹介したいと思います。

是非、こんな人にこの記事を読んで欲しいです。

  • 英語が好きな人/英語が上手になりたい人
  • 海外で働く事に興味がある人
  • 難関資格に挑戦したい人
  • 努力が中々報われない人
  • 怠け者を脱したい人
  • 新しいことに挑戦したい人

主な経歴

●地方出身で極フツーの家庭で育ち、地元国立大学の工学部を修士課程で卒業。浪人せずにストレートで国立大に進学したことは今思えば親孝行!

●大学進学後、短期留学やバックパック旅行を繰り返し15か国以上訪問。波乱万丈で日本では体験できない事を沢山経験し、世界の広さ、人種の違い、日本の安全さを肌で実感!

●卒業後は都内に移住して、機械系エンンジニアとして製造メーカで勤務。はい、普通のサラリーマンです。地元の家族や友達と離れ、寂しさももあったけど、それ以上に都会の刺激とパワーが上回る!

●入社3年後、事業不振による分社化騒動で、入社した会社に不安を抱き転職活動を開始。しかし、自分の中で将来図を描くことができず、第二新卒の転職活動に失敗。自分にスキルと資格を得る為に電験三種に挑戦し、社会人になって久々の勉強三昧!

●入社6年後、海外赴任のチャンスが舞い降り、米国で3年間駐在生活を送る。自分以外No Japaneseの現地法人の子会社に出向し、英語漬けの職場でメンタルトレーニング。心身ともにレベルアップして、コロナが流行ると同時に帰任。

●日本に帰国後、再び都内でサラリーマンを継続中。キャリアアップの為、転職を何度か考えが、メンタル的にもインカム的にも安定してしている現在の会社で正社員という肩書きをキープしながら副業するのが最強パターンであることに気づく!(現在進行形)

英語とスペイン語の出会い

学生時代(初めて留学とパックパック一人旅)

海外に対して、なぜか幼少期から意識してた。

地方ながらも、父親が海外駐在している友達が周りにいたり、帰国子女の転校生が同級生にいたり、なんとなく海外に住む、って事に対してのイメージや憧れがあった。

そのせいか、中学校に入ってからは英語の授業は比較的得意であった。むしろ結構好きであった。その結果、高校卒業するまで学年でも英語に関してはトップの方を維持。

高校3年の時に英検2級を受験し、二次試験対策として英会話教室に通いはじめた。現在はオンライン英会話が主流だが、当時流行った駅前留学NOVAで。決してペラペラにはったわけでは無いが、英語で会話することに対してのアレルギーは無くなった。

大学に行ったら留学してみたいと言う気持ちはあり、地元の国立大学に入学後は、在学中の夏休み、春休みを活用して、留学や旅行の費用を都度貯めた。勿論、親の支援もあった。

結果、在学中にアメリカ、オーストラリア、東南アジア、ヨーロッパ、合計15か国以上の国境を足で跨いだ。身の危険を何度も感じることがあったけど、今思えば当時、親は死ぬほど心配してたんだろうな。子供に旅をさせてくれた親に感謝と、心配かけてごめんねの気持ち。

バックパック旅行 東南アジア編:タイ バンコクに到着してカオサン通りを散策
バックパック旅行 ヨーロッパ編:オランダ アムステルダム散策

社会人20代 (英会話喫茶室との出会い)

社会人になってからも、英語を使う環境に恵まれた。

海外の顧客や業者のとコミュニケーションが多い為、英語でメールや電話は必須。学生の頃から、英語は得意意識はあったが、いざビジネス英語となると話は別であった。

海外から電話を受けた時は、いつも緊張して上手くコミュニケーションが取れず、先輩に転送してフォローしもらったりと、ほろ苦い思い出もある。

英語でプレゼンする機会も多々あった。その日に備えて、何度も練習した。しかし、大体いつも練習していた通りにならず、悔しい気持ちで終わる。先輩の助けや、聞き手の優しさもあって、その場は上手く流れるが、自分にとっては反省点が多い。

そんな思いから、英語力を向上したいと思い英会話喫茶に通いはじめた。なぜマンツーマンの英会話教室でなく、英会話喫茶か。それはコスパが良いから。

マンツーマンの英会話教室は、毎月の月謝が高い分、自分に合わせて先生が合わせて話してくれ、レベルにあった教材を用意してくれる。通うことに対して億劫になることはあまり無い。

一方、英会話喫茶は一般的な英会話教室比べて金額はかなり安い。1hで1000円くらいのお店もあるし、一度2000円払えば、喋り放題なお店もある。

しかし英会話喫茶店では、知らない人といきなりテーブルで会話をする為、英語力以上に人間力とトーク力が求めれらる。人見知りする人や英語にある程度自信がない人にとってはかなりハードルは高い。

行った日、行った時間帯、座ったテーブルで、その日のトークの盛り上がり度異なる。また、隣に座った人の出身、趣味、年齢、空気感が、トークの盛り上りを大きく左右し、終わった後の充実度や達成度も毎回違う。ホストやキャバ嬢では無いが、トークに必要なネタも事前にリサーチしたり、どうやったら自然な感じで会話に混ざれるか、いろいろ研究するようになった。

英語を泥臭く勉強し続けた甲斐あってか、会社で鍛錬した英語力をアピールする事ができた。それが評価されて、米国駐在の辞令をGetすることができた。勿論、運もあったと思うが。

社会人30代 (米国駐在)

20代の努力が報われ、30歳にして米国駐在という切符を得て、家族を残し、ひとまず先に単身で渡米。渡米先はテキサス州ヒューストン。宇宙兄弟でも馴染みのある都市、ワクワクとドキドキの始まりだ!

駐在地 ヒューストンにて ジョンソンスペースセンター

渡米1年目

渡米前は日本でも、ある程度ビジネス英語を使っていたし、それなりに形になっていた。

しかし、米国駐在は思っていたよりも酷だった。まずは駐在先のオフィスには自分以外の日本人は誰もいない。右も左も分からない環境で、日本語でサポートしてくる人が誰もいない。

そして、ネイティブの英語は全然違う。いや、ネイティブというより、米国南部の訛の方が強いのか?とりあえず何言っているか全然わからない。単純な問い合わせであっても、言葉の壁があって、同じ質とスピードでこなすことが中々できない。

何より仕事以外の日常会話や雑談が辛かった。日本では陽キャでも駐在先では陰キャになってしまう、駐在先での呪いにかかってしまう。同僚とランチやホームパーティー、イベントがある度に胸が痛くなり、最終的には意味もわからず愛想笑い。

文化の違いや考え方の違い、言葉の難しさを感じ、孤独を幾度と経験した。

渡米2年目

駐在生活1年が経し、ちょうど家族も合流して一緒に暮らしはじめた。

その頃、耳はだいぶ慣れてきて、自分の意見もシンプルにアメリカ人が理解できるように伝えられるようになり、少しずつ自信をつけてきた。

雑談力も1年目に比べれば少し良くなった。これに関しは英語力と言うよりも話題のネタ探しがポイント。

流行っている音楽、スポーツ、常に意識して情報をインプットし、同僚が話している話題について行けるように用意した。野球とアメフトは避けては通れない話題なので、その辺りは入念に。スイーツの差し入れも、話のネタには効果的だ。

ある日、同僚からのお誘いで、妻と子供を連れてホームパーティーにお邪魔した。妻は英語が得意ではない為、苦痛な時間だったと思う。しかし、それ位以上に、自分もたいして馴染めてなかったことが、家族に悟られて、思いの外ショックだった。

その頃、妻はESLという無料で英語を学べる教会に通っていた。日本人の以外にも様々な国籍の人がたくさん居た。

渡米3年目

ESLを耳にし、英語力を更に上げるためにも、ESLに通うことにした。週に1回、夜の2時間だけの授業だったが、中南米、アジア、中東の人達と楽しく学生みたいに英語を学んだ。

また、中南米の人たちとも仲良くなった事が、スペイン語との出会いであった。元々、駐在地がメキシコと隣接しているテキサス州だったので、無意識にスペイン語自体は目や耳に入っていた。しかし、改めて自分が仲良くなった友達がスペイン語を話しているのを聞くと、カッコいい、が自分にとってのスペイン語の第一印象。スペイン語に触れる事ができる環境は今しか無いと思い、スペイン語習得に向けて勉強を開始した。

しかし、ESLに行きはじめ、スペイン語も新たらしく挑戦しはじめた矢先、コロナウイルスが世界的に流行り、駐在生活3年を終えたタイミングの帰国することとなった。

帰国した現在は、日本でも継続して英語とスペイン語を学び続けるために、直近で英語はTOEIC900以上、英検準1級、スペイン語はDELE A1、を合格目標をモチベーションとしている!!

分社化の危機、転職失敗、電験三種への挑戦

新入社員として入社した会社は、誰もが知る大企業とは言えないが、いわゆる一般的には大手企業(一部上場)。福利厚生、勤務形態、人間関係、残業の多さ、特に不満はなかったけれど、保守的で変化を恐れる社風は完全に社員の成長を阻害していた。このまま勤め続ければ安泰かもしれないが、自己スキルは確実に得ることはできない。得られるのは社内ルールと社内のノウハウのみ。

分社化の危機と転職失敗

そんなモヤモヤした感覚で働きはじめて2年後、自分が所属している事業部が分社化することに決定した。対象者は分社化した子会社に転籍とのこと。待遇は親会社と変わりないと説明はあったが、そんなの初めだけの口実で、時間が経てば子会社の方針としていくらでも説明はつく。やばい、転職しようと思い立った。

しかし、転職するにも、これと言って自分をアピールするスキルがあるわけじゃなかった。当時は威張れるできるほどの英語力も無かったし、何か資格を取得してその業務実績があったわけでも無かった。それよりも致命的なのが、転職してどんな仕事がしたいのか、ということが明確では無かった。一言で言うとネガティブな理由からの転職活動な為、採用側から見ても欲しいと思える人材ではなかっただろう。

その結果、何社か面接にはたどり着いたけど、好ましい結果には結びつかなかった。まだ20代半ばだった為、第二新卒枠としてチャンスは無かったわけではないが、本当に自分はどんな仕事がしたいのか、なんで転職したいのか、自分の中でも整理がついていなかった。

電験3種への挑戦

そんな時に出会ったのが、電気主任技術者、一般的に電験と呼ばれる資格だった。電気系を卒業した同級生が社会人になってその資格の取得にために死ぬほど勉強していた事から知ったのだ。電気主任技術者になれば、高電圧を扱う施設や工場で、必要とされる人材となるため、資格と経験さえあればどこでも働くことができ、将来食いっぱぐれることはない。自分が探していたのはこれだ!と全身に電撃が流れたのを今も覚えている。

電験は3種、2種、1種があり、1種が一番難しい資格である。とは言っても3種が簡単かと問われれば、そうではない。電気系の大学を卒業しても3種合格はかなり難しいとのこと。4科目あり、3年間のうちに全科目を合格すればいいのだが、これもまた翌年にプレッシャーを与えるため、精神的にかなりきつい資格である。

結論から言うと電気系出身ではない自分は、3年かけて電験3種を合格することができた。自分の中で優先順位を作り、勉強のための時間とお金を自己投資し、隙間時間を無駄なく勉強時間に費やした。

1、2年目では1問で科目試験を合格という経験もあり、3年目の最後の科目試験では、最後まで油断しないで試験開始ギリギリまで勉強した。試験終了となる時間まで見直しを行い、かなり手応えはあったと思っても、合格基準点ギリギリのとことで合格した。

残念ながら、その資格を使った仕事は現在していないが、機械設計に電気の知識はマストである事から、得られた知識は全く無駄ではない。そして、確実に「最後目で諦めないで努力すれば必ず報われる」と言う強い自信を得ることができ、今も継続して勉強し続けられている重要なきっかけとなったことは間違いない。

PE(プロフェッショナルエンジニア)の挑戦

家族を日本に残して、一人で米国に旅たった。これから米国での駐在生活が始まる。

何もかもワクワクとドキドキで、不安と興奮と緊張が常に混じっている感覚。日本人が誰もいないオフィスに渡米翌日から通勤開始した。

駐在先の人事スタッフから「あなたのカードよ」と言って名刺を渡された。英語で自分の名前が書いてある。タイトルとしEngineerと書かれている。

これが自分の肩書か。日本でも大して技術者として功績を残したわけでも実力を積んだわけでもない自分が、米国ではEngineerとして名乗れるのか。

日々の業務で、同僚から技術的な問い合わせを受けるが、自分でも良く分かっていないことが多々あり、その場で即答できなかったりした。そんな時、日本にいる先輩にメールや電話で確認して、自分がそれを後日伝える。

自分は何のために米国に技術者として駐在しているのだ。

そんな風に自分の存在意義を疑問に感じ始め、渡米して半年くらい経った頃から、米国の技術士資格であるプロフェッショナルエンジニア(PE) を受験しようと意識しはじめた。PEを取得したからと言って、決して一人前のエンジニアとは言えないが、少なくとも米国でエンジニアと称して働くなら持つべき資格である。

駐在期間は基本的に3年間、そこから後何年猶予あるかわからない。だから何としてでも駐在中にPEに合格してやろうと決め、PEの一次試験(FE) の勉強を始めた。

そこから約3年、何度か不合格になった経験もあるが、電験合格で得た心え「最後目で諦めないで努力すれば必ず報われる」があったので、精神的なプレッシャーなく合格するまで挑み続けた。

結果、PE試験に合格して、現在はPEライセンサーとして正式に米国のある州に登録しながら、技術者として働いている。名刺にも、Spajiro, P.E.と記載でき、箔がついた。

スパイン語資格 DELE A1に向けて

現在、勉強中です。

結果やそれまでの経緯がまとまり次第、更新しいます。

社会人ドクターにむけて

現在、社会人ドクターを目指すため、計画中です。

夢に向けて現在計画&交渉中なので、進捗あり次第、更新します

まとめ(なぜ勉強するか)

チャンスを射止める確率が上がる。知識やスキル、経験が多ければ多いほど、人としての品格をあげ、発する言葉の質が高くなり、自信が満ちる。それは夢に近づくチャンスは多いし、チャンスを射止める確率も上がる。

ゲーム感覚。子供の頃、RPGゲームをしていて、ステータスを上げてレベルアップし、各ステージのボスを倒して、次のステージに進んでいく。どうやったら攻略できるかを考えて、そこに向かって努力し、継続し、戦略的に取り組んで、結果を得ることができた時の達成感は、幼少期にやっていたゲームに似ているのかもしれない。

子供へ教育ポリシー。子供に勉強の楽しさを身をもって教えてあげたい。子は親の背中を見て育つとも言われているが、本当にそうかは分からない。しかし、少しでも自分の学ぶ姿が、子供に「お父さん勉強楽しそう」って思ってくれれば、子供の人生に何かしら良い影響を与えるかもしれない。そうなれば、親としても本望であり、学びの上では良いライバルになるかもしれない。

これからもまだまだ成長し続けて様々なことに挑戦していきます!

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